『シンプル・シモン』とは?
『シンプル・シモン』は2014年公開のスウェーデン映画。
ジャンルはコメディロマンスで上映時間は86分。内容もポップで、軽く映画を楽しみたいときにおすすめできる作品だ。
しかし、その中には奥深いテーマも潜んでいて、非常に見応えのある映画となっている。
ここではそんな『シンプル・シモン』のあらすじ・感想・考察を見ていく。
・作品情報
監督
アンドレアス・エーマン
キャスト
・シモン ー ビル=スカルスガルド
:主人公。アスペルガー症候群。
・サム ー マルティン=ヴァルストロム
:シモンの兄。整備士。
・イェニファー ー セシリア=フォルス
:ヒロイン。
・フリーダ ー ソフィ=ハミルトン
:サムの恋人。
・シモンのママ ー ロッタ=テイレ
:夫と二人暮らし。
『シンプル・シモン』あらすじ
・予告動画であらすじ確認
まずは映画の予告ムービーでかんたんに。
・3ステップであらすじ確認
文字でも読みたい人向けのあらすじ。ここでは3ステップでかんたんに。
[st-step step_no="1"]アスペルガー症候群のシモンは兄サムとその彼女フリーダと三人で暮らす。[/st-step] [st-step step_no="2"]フリーダがアスペルガーのシモンを我慢できず、サムと別れることに。[/st-step] [st-step step_no="3"]シモンは兄のために新しい恋人探しを始めるが、、、[/st-step]
『シンプル・シモン』感想
『シンプル・シモン』は本当に見やすい映画だ。
彼女や彼氏とDVDショップに行って見る映画に迷ったら、取りあえずこれを借りておけばいい。
ド派手なアクションこそないが、少なくとも84分間はこの映画があなたの心を癒やしてくれる。
もちろん家族で見るのもいい。
・カラフルな色彩にみる比喩的表現
『シンプル・シモン』の魅力は、なんといっても作中に出てくる建物、家々、内装、家具などだ。
舞台はスウェーデンの郊外だけど、その暮らしぶりは牧歌的ながらも洗練された近代性を兼ね備えている。
家の内装や家具の色彩は豊かで、私たちはその色とりどりな日常をしばしば目にすることになる。
日本にはない北欧的な雰囲気が味わえること間違いなしの作品だ。
映像の光度も高いせいか作品全体が明るくさっぱりしていて、軽妙に仕上がっている印象を受けた。
映像美とまでは言わないけど、最近の映画らしいシャープでクリアな映像だ。
この映画のカラフルさは、もちろん北欧の家具文化(IKEAなどに代表される)の反映でもあると思う。
だけどそれと同時に、人間のもつ様々な個性をも比喩的に表しているのだろう。
「アスペルガー症候群」という、人に合わせることができない人物を主人公においていることからも、この映画が「個性」をテーマの一つにしていることが分かる。
現代的な文化の認識に合わせれば、僕らはそれぞれが個性を持っている。
その個性を、映画に出てくる色とりどりな家具や内装は、分かりやすく視覚的に表している。
・『シンプル・シモン』 ~家族というコミュニティ~
この映画のもう一つのテーマは
- 家族というコミュニティの弱体化
だろう。
ここでは、主人公のシモンと登場人物の関係に焦点をあてて、「家族」というコミュニティについて考察していく。
・シモンと両親
物語の冒頭、シモンは兄が居なくなってしまったためにドラム缶の中に閉じこもってしまう。
その時間はなんと8時間。
母はシモンを引っ張り出すために怒鳴り声を上げ、父はドラム缶の通気口に金を入れておびき出そうとする。
しかし、シモンは一向に出てこない。
この場面は特に重要だ。
なぜなら、母が感情的になっても、父が金を使ってもシモンを動かすことができないということは、両親の力が無効であるということを表しているからだ。
両親は結局兄に連絡し、兄が弟をなんとか説得する。
・シモンとフリーダ(兄の彼女)
フリーダはサム(兄)の彼女で、シモンと三人一緒に暮らすことになる人物。
物語では、シモンというアスペルガーの人間に耐えられなくなる女性の役割が当てられている。
少し態度は悪いけれど、「フリーダの立場になってみればその気持ちも分からなくはない」というのが、この映画を観た人の共通の感想だろう。
悪役のように描かれているが、彼女は決して悪くはなく、多くの女性がフリーダのように振る舞ってもおかしくはない。
このことが表しているのは、一般的な女性ならばシモンという人間と一緒に暮らすことは耐えがたいということだ。
・シモンとサム(兄)
この映画を見ると、サム(兄)がとても良い人のような印象を受ける。
だが、物語をよくみれば、実はそれが誤りであることに気づくだろう。
物語後半、サムは勝手に行動するシモンに我慢ができず、心ない言葉(「どうせおまえはアスペルガーなんだからな!」)などを投げかけて、シモンを一人にして実家に帰ってしまう。
これがサムの本性だ。
今までは「兄」という立場だからシモンに優しく接していただけで、結局はフリーダと同じ普通の人間なのだ。
ほかにも、実はサムがシモンのことをきちんと見ていないことが分かる描写がある。
たとえば、サムが「弟は俺のことを1000倍もいい男なんて言うんだよ」という台詞に対して、ヒロインのイェニファーが「937倍よ。」と答える場面。
これは、イェニファーがシモンから同じ話を聞いていて、そのときにシモンが937倍と言っていたことを覚えているからだ。
ここで、シモンをきちんと見ているのは、
- イェニファー>サム
であるという構造が浮き彫りになる。
このようなことから、サムは弟のことを一個人として真剣にみているようでいて、実は兄であるという立場による責任感から弟をみているのではないかと推測することができるのだ。
仮にれを正しいとするならば、シモンは両親からも兄からも救ってもらうことはできないことになる。
では、誰がシモンを救えるのだろうか?
・シモンとイェニファー(ヒロイン)
そこで登場するのが、ヒロインのイェニファーだ。
結論から言って、彼女はシモンの心を開く存在となる。
その証拠に、エンディングで二人は見つめ合い、シモンは物語中で初めて笑顔を見せる。
この流れからみて、一般的な女性として登場するフリーダはともかく、家族でさえ一緒に暮らすことが難しかったシモンは、おそらくイェニファーとともに暮らしていくことになるのだろう。
つまり、シモンを救うのはイェニファーだ。
そしてイェニファーはシモンにとって、まったくの赤の他人だ。
家族というコミュニティから離れて
100年ほど前までは、家族の世話をするのは家族だった。
父の仕事を息子が手伝い、息子が大きくなって嫁が必要になれば、家族が候補を探した。
しかし、今では父の仕事は若い社員が代わりにするし、息子は嫁が必要になれば自分で探す。
つまり、国家というコミュニティが強くなるにつれて、家族というコミュニティは弱くなっていったのだ。
『シンプル・シモン』にもその影を見ることはできる。
シモンを救えるのは両親や兄といった家族ではなく、他人であるイェニファーだ。
このことは「個人を救えるのは家族ではなく、家族以外の個人だ」と言い換えることができるだろう。
このようなことをまとめると、『シンプル・シモン』には、
- 個性の強調
- 家族というコミュニティの崩壊
というテーマがあると考えられる。
表面的には軽い内容だけど、扱うテーマは奥深くて見応えのある作品となっている。
『シンプル・シモン』 ~あとがきにかえて~
とはいえ、こうしたジャンルの映画は楽に観るのが一番楽しい。
ラブコメ映画に対して、テーマだとか比喩だとか、なんだかんだと言うのは野暮なことだと思う。
だけど、『シンプル・シモン』には書きたくなる何かがあって紹介した。
短い映画だから、気楽な感じでぜひみんなに観てほしい。