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アニメ『バビロン』最終回の感想と評価!実は善悪がテーマではない

アニメ『バビロン』を観た

アニメ『バビロン』を観た。

Amazonプライムビデオの広告で流れていて前から気にはなっていたのだけど、星評価が2.5くらいと低かったので手を付けていなかった(基本的に僕は星4以上の作品しか観ないにわかアニメファンだ)。

そんな僕が『バビロン』を観ようと思ったのは、『サイコパス3』の不完全燃焼感をどこかで解消したかったからだ。

『バビロン』は検事の物語であり、ちょっとダークな雰囲気も『サイコパス』と似通っていると感じた。

観終わって思ったのは、この作品がなぜあんなにも低評価なのか分からないということだ。

たしかに序盤はいただけない

序盤ははっきり言って退屈だった。

  • 悪とは何か?
  • 正義とは何か?

そんな疑問に正面から向き合うには、僕は少し年を取り過ぎたのかもしれない。

作者は正崎善の道徳観を「清く正しく真っ直ぐなもの」として描きたかったのだろうが、彼のメンタルは真っ直ぐすぎて、逆に不自然な感じが否めなかった。

妻子もいる年齢で職業も検事なら、もう少しスレていてもおかしくはない。というか、そっちの方が真っ当だと思う。

逆に、間世愛に部下を殺されてからの彼はキャラクターとして活き活きしている。話数でいうと第7話以降だ。

個人的にはこの第7話以降が面白かったと思う。

舞台は世界へと広がっていき、最終話まで一気にボルテージを高めていく。

アニメ『バビロン』最終話の感想

とくに最終話はかなり良かった。

この最終話の内容だけど、調べたところ原作とは違うらしい。

違うところは、大統領が屋上に上ったあとの場面。

原作では、

  • 大統領は飛び降りて死ぬ

という結末になるらしい。

だけどアニメでは、

  • 大統領を正崎が撃ち殺す

という結末だった。

まあ、アニメを構成的にキレイに終わらせるには妥当な判断だと思う。

同じように、原作は続きを書かないといけないから、正崎を大統領殺しの犯罪者にするわけにはいかない。

だから、どちらが良いという問題ではない。

そのうえで、僕はアニメの終わり方を全面的に肯定したい。

主人公が死ねばバッドエンドなのか?

アニメ『バビロン』の最終回についてはネット上でも賛否両論あるようだ。

その「否」の意見の中でも、

  • バッドエンド
  • 後味が悪い

などの意見が多くみられる。

だが僕は思う。『バビロン』ははたしてバッドエンドなのだろうか?

「考える人」である米国大統領は、

  • 続ける

ことが「良いこと」だという結論を導き出した。

そしてその反対に、

  • 終わる

ことが「悪いこと」だと言った。

そうした結論を出した直後に、大統領は正崎によって命を奪われる。

「終わること」が「悪いこと」な以上、正崎は「悪いこと」をした人間ということになる。

だがアニメを観た人なら、正崎が大統領を射殺した理由も分かるし、変な言い方だけど「殺人の道徳性」も認めるだろう。言うなれば愛のある殺人だ。

こうしたことからこのアニメの最大のメッセージは、「良いこと」も「悪いこと」も超えたものがあるというところにあるのではないかと考えられる。

その証拠に、正崎はそのあと間世愛に銃を向けるが発砲しなかった。愛のない殺人は正崎の正義に反するからだ。

つまり、彼は正義を全うして死んだ。決して敗北者などではないのだ。

善悪の上位概念としての「愛」

これまで見てきたように、このアニメは善や悪の上位概念として「愛」を置いている。

これはつまり、善や悪といった概念は普遍的なものではなく、「愛」によって変化するものだということだ。

たとえば物語中にも出てきた「トロッコ問題」なんかもそうだ。

~トロッコ問題~

トロッコが走っている線路上に5人の労働者がいる。あなたの手元にある路線変更スイッチを切り替えると5人は助かるが、切り替えた先にいる1人の労働者がいる。あなたはスイッチを切り替えるか?

というもので、通常多くの人は「切り替える」を選択する。1人の命を犠牲に、5人の命が助かるからだ。

しかし、その先にいる1人の労働者があなたの最愛の人だったらどうだろう。

もし「愛」を善悪の上位に置くのなら、その選択は変わるかもしれない。

米国大統領と正崎が対峙した場面は、そうした善悪を超えた人間の心の動きを感じ取らせてくれた。

そして結果的に、「愛」が善悪の上位に来ることを目の当たりにした。

こうしたことを踏まえたうえで、『バビロン』のラストシーンを思い出してみたい。

アニメ『バビロン』のラストシーン

『バビロン』ラストシーンでは、のどかな田舎の風景をバックに、バスから降りてくる女性が現れる。

その女性は間世愛。

ここで視聴者は、正崎が死んで間世が生き残ったことを知ることになる。

風に飛ばされた間世の帽子を少年が拾い、彼女が少年に「良い子」と言って物語は終わる。

これは一見正崎の敗北を表す場面にも見えてしまうが、それは違う。

正崎は善悪を超えた愛によって正義のうちに死んで、間世はいまだに善や悪にとらわれている。

つまりこの場面は、上位概念の愛を選んで死んだ正崎に比べて、下位概念である善悪にこだわってまだ「良い子」なんて言っている間世が非常に滑稽で残念な人間に見えるという場面なのだ。

したがって、『バビロン』のラストシーンは、ホラーでもなければ後味が悪いわけでもない。と僕は思う。

むしろ正崎の側に立ってみるなら、間世を精神的に乗り越えていける場面ではないだろうか。

間世の弱点は子どもか

ラストシーン関連でもうひとつ。

最後に間世は少年から帽子を受け取る。

そこで思ったのが、その少年は間世に接触して大丈夫なのか、ということだ。

思い返してみると、間世の力が発揮されたのは中学生になってから。

僕は勝手に、間世の性的な魅力が中学生になって発露したと思っていたが、逆に言うと、それまで男子生徒が性に目覚めていなかったとも考えられる。

であれば、性に関して無知で無関心な子どもなら、間世の力は通用しないのではないだろうか。

もしそうなら、原作とは別展開で、正崎の子ども活躍ルートの『バビロン2』もあり得るかもしれない。

いや、それはさすがにないか。

要するに『バビロン』はラストが良い

Amazonビデオのレビューを見ていると、「グロいから途中で観るのをやめた」と言って低評価を付けている人があまりにも多いことが分かった。

言うまでもないが、作品を最後まで観ていない人間が作品を評価するなど論外だ。

そんな身勝手な人たちのせいで、僕みたいな「にわかアニメファン」が良作と出会うきっかけがなくなるのは悲しいことだ(繰り返すけど、僕は基本的に星4以上に評価された作品しか観ない)。

まあそれはともかく、『バビロン』を最後まで観ないのはもったいない。

後半にかけて盛り上がり、ラストで爆発する。そんなアニメだった。

作中で繰り返される男性の性的な高まりの表現(パンパンに膨らんだ風船が破裂する寸前など)も、このアニメの構成の暗喩なのではないかと思うほどだ。

『サイコパス3』による不完全燃焼感も吹っ切れたし、『バビロン』には感謝している。

ついでに言うなら、もう少し音楽がエスニックテクノよりだったらもっと僕好みだった。

他作品との差別化を図りたいのは分かるけど、ダークな雰囲気の作品に民族音楽は切っても切り離せない。

一度知ったらやめられない、柿とチーズの組み合わせみたいなもんだ。

とはいえ現代クラシックも全然悪くなかった。どうしてもDEEMOっぽいところはあったけどね。

総評としては83点。ではでは。

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